N0.3 ドラとワールドカップ 02/01/29

   
 

私が物心ついてからフランスが出場した大会は、1982年(スペイン),86年(メキシコ),98年(フランス)です。98年を除くと、82年スペイン大会がとても印象的です。父と一緒にテレビ観戦していました。あのミッシェル・プラティニさんがいた、あのレ・ブルーです。彼は、今やFIFAの副会長です。

このときのレ・ブルーは、エレガントでファンタスティックでフランスのエスプリを感じさせる、素晴らしいチームでした。そして、あのパス回しをシャンパンの泡に喩えて「シャンパン・フットボール」と言われました。そういえば、ラグビーもあのつなぐ展開ラグビーを「シャンパン・ラグビー」といいますね。でも、もう一つ別の意味も込められていました。それは、「美人薄命」です。それは、華麗で優雅なパスにより流れるようにボールを支配し、ほれぼれするようなプレーはするけれど、ゴールを割ることができずに、大事なところでは勝てなかったからです。

実際、82年大会では、準決勝でドイツに負けました。勝てるゲームを落としたという気がしています。90分で1対1、延長戦になりました。昔は、延長戦は15分ハーフを行いました。今のゴールデン・ゴール方式は、J−リーグのVゴール方式をそのまま取り入れ、94年アメリカ大会から採用されました。最後の5分まではリードしていたのに、最後の最後にドイツのゲルマン魂に追いつかれて、最後はPK戦で涙をのみました。そう、ドイツのキーパー・シューマッハにやられたと思います。

後半、彼が犯したバティストンへのラフプレーはレッド・カードモノでした。98年に彼にインタビューする機会がありましたが、あの時のケガはひどく、その後も尾を引いたようです。でも、シューマッハはなんのお咎めも受けませんでした。フランスには、魂と運が足りなかったのでしょう。とても悲しかったことを良く覚えています。