N0.1 トゥルシエ監督インタビュー 01/12/08

   
     
  現在、日本で、一番有名なフランス人は誰でしょうか?  
それは、フィリップ・トゥルシエさんです。彼は、この2年間、サッカー日本ナショナル・チーム監督をやっています。そして、とても有名で、また、若者達の理想のモデル的存在です。  

覚えていますか、日本は、先のワールド・カップで勝ち点を1ポイントも獲得できなかったことを、次回のワールド・カップは日本で開催されることを。日本は大きなチャレンジをしているところなのです。
フィリップ・トゥルシエさんは,若い選手を起用して新しいチームを人知れずに造りあげました。日本サッカー協会との間にいくつかの軋轢はありましたが、ついに成功が訪れました。先月、日本はアジア・カップで優勝したのです。  

先日、プレス向けの「白い呪術師」(長いアフリカの生活で彼についたあだ名)の記者会見が外国人特派員を前にして行われました。私も出席してきました。その中でも特に興味深かった部分をここで紹介します。
(日本では、一般的に、フットボールのことをアメリカ流に「サッカー」と言います。ここでは、その慣例に従い、「サッカー」と表現します。)
(Q:記者からの質問、PT:トゥルシエさんの回答)

まずは、記者会見ではいつもフランス語を使うフィリップ・トゥルシエさんの挨拶からです。
PT: 今日のこの機会は、私個人にとって、とてもとても大切な時間です。それは、私自身の知名度がとても高いことに気がついたからです。この知名度の高さは、とても日本的なシステムと私の仕事=サッカー日本ナショナル・チーム監督に起因しています。  
自分自信をとても内気な人間であるとは思っていません。時には、本当の私自身と仕事からくるものとの違いを上手に表現できませんでした。何回か、仕事に起因するこの知名度の高さと本当の自分自身の間におおきなズレがありました。  
この高い知名度により、新しい義務が生じました。それは、ただ単に選手とボールと一緒に、グランドでサッカーをやっているだけの監督であってはいけないということです。私は、若者のために、ダイナミックかつ不確実なサッカーのワールド・カップの準備という大きなプロセスを通して、若者の理想のモデルという重要な役割を担っています。つまり、私は社会に影響力ある人物としての義務を負っています。
Q: 日本チームは、ワールド・カップで優勝できると思いますか?
PT: 日本のサッカーの進歩を理解する2つの方法があります。
1つ目は、結果です。結果だけが、FIFA(国際サッカー連盟)やAFC(アジアサッカー連盟)が管理するワールド・ランキングを通して、練習による成長度合の正確な価値を示してくれます。アジア・カップ優勝後、シドニー・オリンピック5位後、世界ユース選手権準優勝後、2度のオリンピック予選通過後のワールド・ランキングによって、日本は発展段階にあると言えます。  

2つ目は、日本サッカーがその才能を発揮する方法です。  
得られた結果は、勝ち誇りたい、野心的である、攻撃的であるといった日本の国民性に由来する方法により獲得したものです。現在の日本チームは、ゲームをプロデュースし、チャンスを創造し、自分たちが思ったとおりのプレーができる、そんなチームです。私たちは、上昇気流に乗っているとお話しできることに感謝の念が絶えません。  
日本は、アジア・サッカー界のリーダーになり、また、世界のサッカー強国の足下に位置できたという点で、アジア・カップはとても大きなご褒美でした。それに、アジア・カップの後、「日本は、世界のトップ20に位置していると思う。」と、私は言いました。  
日本は、ワールド・カップに優勝できるでしょうか?皆さんそれぞれ、人に分からないように紙に書いてください。その回答を、今現在アメリカで起こっている事態と同じように数え、選別すると、日本がワールド・カップで優勝できる可能性が見えてきます。 まじめに話しましょう。ただ単にスポーツ的側面から考えて、私の答えは、「ウィ」です。サッカーの不確実性、シナリオ、統計、サッカ−の歴史を考慮すると、日本は優勝できると言えるのではないでしょうか。  

ワールド・カップは、カップの中のカップです。ワールド・カップのゲームには、好きも嫌いも、偉大なチームも弱小チームもありません。あるのは、プレーのコンディションとシナリオです。プレーのコンディションの点では、日本には大きなアドバンテージがあります。我々は、ホームグランドで、いっぱいのサポーターの前で、プレーできます。また、我々は上昇気流の中で準備でき、そのことは、ダークホースであることを確固たるものとし、勝利のための大きな力になってくれます。したがって、我々はワールド・カップに優勝できます!
Q: 2年前に、あなたが日本サッカー協会の責任者だったら、コーチとしてフィリップ・トゥルシエを招聘しましたか?また、それは何故ですか?
PT: もし、私が日本サッカー協会の会長だったら、当然フィリップ・トゥルシエを招聘します。信頼感を取り戻すプロセスを、情熱があり勤勉な一人の男と行う必要があるからです。しかも、彼には、多人種、多民族、多文化での経験があり、選手が自己主張できるように、また才能を花開かせことができるように、また強化できるように手助けする中で、彼の経験を活かした最大限の情報を選手に与えることができるからです。  

私は、フィリップ・トゥルシエを選びます。彼は日本語が話せませんし読めませんが、周りからの影響を全く受けることがないからです。監督が、周りからの影響を全く受けないで、自分自身の情熱と能力だけで本当に自己表現するためには、全身を水の中に沈めているしかありません。

人が外国人を選ぶのは、何か新しいことを学びたいからでしょう。そこで、まず最初に努力しなければならないことは、たぶん、日本人が彼に順応することです。しかし、日本では、「馴染むべきは外国人の方である」と言う傾向があります。もし、「郷に入ったら、郷に従え」という原則ら始めるのであれば、日本人を連れてくる方がましです。順応へのアプローチは日本人の方からするべきだったということは当然のことです。
でも、そうは言っても、フィリップ・トゥルシエは違いに敏感ですし、また、日本人の生活に敏感ですから、日本人の原則やコミュニケーションの方法や振る舞いのいくつかを受け入れました。しかし、私の仕事の部分では、完全には理解されない部分がありました。私たちにはあまり時間がなかったのです。ナショナルチームの監督にはいつも時間がありません。日本人の要求は少し大きすぎます。彼等は、私に最高であることとその結果を期待します。最初から、プライオリテを与えることを知るべきです。私のプライオリテはいつも、パフォーマンスの高さであり、能力の高さであり、実りの多さでした。そのような期待の中にいて、その期待に添うために、私はマネージャーであり、コーチであり、私の目的は、選手を選択し、試し、チームを造ることでした。
Q: 日本チームは、あるレベルまで成熟してきました。日本サッカー協会は、国際的なレベルまで成熟していますか?協会の運営方法は、アフリカ、ヨーロッパ、日本それぞれ同じなのでしょうか?
PT: 成熟度は経験で評価されます。経験とは過去の歴史です。日本サッカー協会は、1993年までアマチュアでした。日本サッカーの基盤は、学校それから大学そして大なり小なり企業へと移りました。ヨーロッパのサッカーは、100年以上も前からプロです。フランスは1946年から、イングランドはもっと以前からプロです。

つぎに、各協会の国際的なパフォーマンスを比較すると、日本はアジアや周辺地域でのタイトルはありますが、国際的なものは皆無です。また、ここ何年もの間、いくつかの異なるナショナルチームを構成してきた選手にも、国際的な大きな経験はありません。我々はまだ、以前として勉強しているところなのです。日本サッカーの周辺にいる責任者は、選手としも幹部としても、国際経験に乏く、日本サッカーは、ヨーロッパと同レベルまで成熟していません。  

日本サッカーの幹部や、こう言って差し支えないと思いますが、日本の他の組織の幹部もまた、、時差や距離が離れていることから、日本が孤立した島国であることは、世界の他の国民との間に恵まれた関係を築くことには貢献しないことを自覚しています。  全ての日本の責任者達は、このような関係を作るために海外を訪問することや、それどころか、外国の専門家にサッカーや原子力や原油や自動車などの分野での協力を求めることを躊躇しません。  

日本人は、彼等の考えや経験と国際的経験と外国人の経験とを共有することを躊躇しません。また、完全に日本のプロフィールを守りつつ、また一方で外国人のすることを利用しつつ、建設しながら交流している最中なのです。  

一方で、旧大陸にはもはや存在しない優位性を持っています。それは、もはやヨーロッパには存在しないような、経験不足による熟度不足から来る、発見への飢え、学ぶことへの飢え、探検への飢えといった攻撃的で積極的な行動をとるということです。ヨーロッパ人は冷めています。そして何でも知っています。でも、我々は、今、とても積極的なのです。フィリップ・トゥルシエは、それほど人間関係の経験が豊富ではないので、発見すること、与えること、教えることに飢えています。
Q: 日本人は、アメリカまたはアングロ・サクソンのマネージメントをしばしば真似してきました。フランス人として、なにか別の提案はありますか?
PT: アメリカの、または一般的にはアングロ・サクソンのマネージメントを真似してきたことには、わけがあります。フランス的なまたはラテン的なものとの比較は価値あることだと思います。アングロ・サクソンの教育はより強制的でより競争的です。私自身、私の参考例はアングロ・サクソンのものです。私は、ナイジェリアや南アフリカでアングロ系のクラブの監督を経験しましたが、その時の選手の私への反応を比較すると、これらの文化圏の選手は、より競争的な反応を示し、また、監督がその選手を好きか嫌いかを知ろうともしません。彼等の目的は、グランド上での実りが多いこととパフォーマンスにあります。そのことを強く感じることができました。アングロ・サクソンを指揮することは本当に大いなる喜びです。  
そのことを理解するには、イングランド人がどのようなサッカーをするか見るだけで十分です。選手はサポーターと精神的な契約を結んでいます。サッカーの周辺には大いなる情熱があり、サッカーは人生の全てを与えてくれる唯一のスポーツなのです。勝っても負けても、常にただ一つの振る舞いがあるだけです。でも、私が良く知っているフランスでは、2試合勝てば一種の消極的な至福の極みが宿り、2試合負ければ一種の同様なパニック状態が宿るのです。
この手の話はお手のものです。私はフランス文化で育ち、異なる文化の中で鍛えてきましたから。
Q: あなたは、プレーに様式美を重視しているように見受けられますが?
PT: それは、ワールド・カップへの準備の第一段階での意向です。我々は、様式美を身に付ける途中過程にいます。オリンピックへの準備をしなければならない体操選手を想像してください。テクニックを身につける方法にとても関心があります。人は、練習で強化した理想的な動きと完全に同じ動きを選手に要求します。少し学校のようですが、でも選手にいくつものオートマチゼを与えることができます。つまり、対戦する相手に応じて、適応できるということです。  我々の方針は、「良いプレー、資質、良いパス、精神的な行動、想像力をベースに、最大限の専門性を選手に教えること」です。
Q: 当初、あなたは、得点をあまり上げられないという批判に晒されました。誰に得点して欲しかったのですか?日本のNO1ストライカーは誰ですか?
PT: 昨晩、Jリーグの最終戦「鹿島アントラーズ対柏レイソル」戦を見てきました。このゲームは、両チームにとって、とても大切なゲームでしたが、結局、結果は<0対0>の引き分けでした。(Jリーグ第二ステージのチャンピオンが決まる試合で、勝点差で、鹿島がチャンピオンになった。)  

レフリーの試合終了のホイッスルが鳴ったとき、<0対0>のゲームなのに、1位になったことをあんなにも喜んでいる選手たちを、今まで見たことがありませんでした。人は、1位になるには<0対0>で十分であったことを高く評価します。  
サッカーにおいて一番大切なことは、得点を上げることではなく、勝点を獲得することです。カップ戦であれ、リーグ戦であれ、トーナメント戦であれ、1つのゲームは単独で孤立した存在なのではなく、目標へ向かう過程の1つに過ぎません。優勝するためには、勝点を加えることだけを考えなければなりません。引き分け試合は目標に到達するために必要な鍵であることを十分考慮しないことは、日本サッカー界の経験不足を表す1つの側面です。  
イタリア人はこのことを良く知っています。数年前から5回も<0対0>を経験し、そして「これこそがサッカーだ!」と言っています。  
日本では、リーグの運営組織は今年から延長戦後の引き分け試合を認めました。それまでは、引き分け試合のことを全く理解していませんでした。  

2年前、初めて日本に来たことのことを思い出します。あるフランス人が、「このトーナメントに優勝するためには、引き分けで十分ですね?」と、日本選手達に尋ねると、「引き分け試合って何それ?」と、選手達は答えました。彼等は、引き分け試合の何たるかを、またその意味するところを知らなかったのです。  

Jリーグでは、引き分け試合が復権しました。将来的には延長戦も無くし、引き分け試合は高レベルの大会を構成する1つの要素であることを理解して欲しいと思います。  
このことは、日本社会では、とても努力のいることだと思います。繰り返しますけど、日本社会は、勝者を望み、敗者を嫌います。毎試合同様で、闘牛のように勝者が必要なのです。このような何が何でも勝つという態度は重要で、情熱の元であり、エネルギー源であり、勝利者になる源です。私も攻撃の最後のところで利用しています。しかし、勝点を獲得することやゲームを支配することも学ばなければなりません。現段階では、まだ、日本選手の潜在能力の1部になっていません。  
得点力不足はすべての国が悩み苦しんでいる、ひとつの病気の様なものです。フランスは世界チャンピオンであり欧州チャンピオンであるにもかかわらず、得点力不足が問題ですし、イングランド然り、すべての国が抱える問題です。「とても優秀なフォワードがいるので、毎試合4得点は上げることができる。」なんてことを言えるチームはどこにもありません。ブラジルとて同様です。  
より高い資質を持ったディフェンダー、一般的にサッカーがより良く組織されていること、監督がより良く管理していることにより、今日では、得点することはとても大変なことなのです。  
もっとも優れたフォワードの選手とは、それはチームワークです。チームそのものが、得点を上げることが出来ようが出来まいが、成功の一番の裏付けなのです。得点するために、または誰かに得点させるために、チームの調和を乱すことはできません。誰もが得点できる可能性を持っていますが、ゴール前までボールを運ぶこと自体が難しくなっているのです。
Q: ワールド・カップで、一次予選を通過できないと強い批判に晒されますね?
PT: もし一次予選を通過できないときには、批判されることを望みます。  
一次予選を通過するために、最良のイメージを与えるために、ワールド・カップに優勝するために、私たちは働いているところ最中です。私たちは最良のコンディションを持っています。協会は、それを私たちに提供してくれます。また、クラブと海外で活躍する選手を養護するために、いくつかの点について修正を加えようとしています。期待に完全に応えるために、肉体を鍛え、頭脳も鍛え、そしてとても大切な点ですが経済的な投資をしています。この期待はとても高いものですが、私たちはすべのコンディションを持ち合わせています。 もし負けたら、これらの努力や投資が無駄になるということです。批判が起こることを理解しなければなりません。負けたときには、日本が全力で戦わなかったとかいう批判には耳を貸さなければなりません。失敗に関しては、その失敗は日本人の失敗というだけでなく、おそらく相手の成功にも関連しているということ理解しなければなりません。それは、ゲームに負けたからとか名誉を傷つけられて目的を失ったとからという理由からではありません。  

この4年間にやってきたことを忘れてはいけません。このプロジェクトを共有してきた意志のあることを忘れてはいけません。ペナルティを失敗したとか、審判の判定が悪いとかいった局部的な批判をすることは簡単です。なにが失敗の要因であったのかを認めることも必要です。それを完全に理解することは難しいでしょう。失望感もあるでしょう。もちろん、当然のこと批判があるということは良く分かっています。  

監督の90%は職を失うのです。何人の監督がアジア・カップに登場してきたでしょうか?予選落ちしたチームもありますから、おそらく500〜600人、少なくとも40人は下らない監督たちが、アジア・カップの準備をしたことでしょう。でも、勝利者はたったの一人しかいません。現状のネパールと日本それぞれの目的や韓国と日本それぞれの目的を比較してみてください。人は勝利よりも敗戦でより多くを学ぶと思います。現在、日本チャンピオンは1チームですし、世界チャンピオンもただ1チームしかありません。 

何ヶ国(民族)がワールド・カップの準備をすると思いますか。おそらく800(?)位の国があるでしょう。でも、勝者はただ一人です。我々監督の90%は職を失います。監督という人種は、そのような悲哀の中で仕事しているのです。
Q: ヨーロッパで活躍できる日本選手には誰がいますか?
PT: 私は、7人いると思います。日本には200人くらいのヨーロッパでプレーするに値し、そのプレーや資質がヨーロッパに出入りしている選手と遜色がない選手がいます。 しかし、ヨーロッパには、欧州共同体以外の国の選手を2〜3人しか登録できないという法律があります。つまり、外国人選手を制限しているわけです。外国人選手を採用すると、その選手は地元の選手より優れていることを要求されます。   

私が100から200人と言ったのは、彼等には、フランス、イタリア、イングランド、ドイツに出入りしている選手と、少なくとも同レベルの実力があるということは明らかだということです。皆さんが知りたいことを話すと、フランス人やドイツ人プレイヤーより優れていると言える選手は、その100〜200人の中でも、そうですね、1、2、3、4、5、あと一人、そう6人ぐらいです。 セオリーに従って、テクニック、フィジカル、適応能力、メンタル等の資質を基準に評価すると、現段階では、中田英寿がただ一人、テクニック、フィジカル、メンタル面での可能性を持っている選手であると高く評価することができます。彼は、アジアと日本のための最高のサッカ−大使だと思います。彼は、実際に試合に出すことができる選手ですし、ヨーロッパのビック・クラブでプレーしています。現在、多くの優秀な選手がいますが、中田と同レベルのすべての資質を持ち合わせている選手はいないと思います。
テクニック面では、中村はヨーロッパのビック・クラブで簡単にプレーすることができると思いますが、フィジカル面ではもう少し時間が必要ですし、海外への適用能力についてはよく分かりません。フィジカル面では稲本や高原はヨーロッパで簡単にプレーすることができると思います。もう一人別にいます。それは服部です。彼は、フランスのディヴィジョン1でプレーする正規の資格を有しています。
確かに6人いやそれ以上の選手名を上げることができると思いますが、彼等にはヨーロッパで成功するための大切な3つの要素のうちどれか1つが欠けています。つまり、まず第一に、それはメンタル面での資質です。ヨーロッパでの人種差別、文化の違い、食文化の違いに抵抗できることが必要です。それから特に、強靱な肉体が必要です。そして、テクニックと戦術理解力が必要です。
これらを兼ね備えれば、彼等は皆、ヨーロッパで成功する可能性があります。

しかし、もう一度繰り返しますが、日本にはヨーロッパで成功する可能性のある選手が何十人もいますが、何よりもヨーロッパ人のアジアサッカ−に対する無知から、その道が未だに閉ざされたままなのです。
Q: 選手との関係について話してくれませんか?選手と一緒になって築いてきた関係に満足していますか?
PT:

一人の人間として2つの側面があります。それは、一個人としてと選手としてです。まずは選手としての側面から話しましょう。  
誰かがショートパンツかジャージを身に付けています。もし彼が40歳なら、彼は10歳の子供になります。もし彼が大臣だったら、まあ普通の大人の選手になります。つまり、誰かがスポーツの服装を身につけたら、その人は目下の人間になるわけです。このことにより、監督との関係は単純になります。ボールで遊んでいる少年が目の前にいるのと同じことです。その間の人間関係は異なります。  
監督との関係は、一方通行なものです。ある意味では良いものではありません。監督は、選手に要求し、選手の良いプレーを呼び起こし、選手を従属させ、選手に指示を与える存在だからです。  

私は、選手との関係に満足しています。日本人は、彼等の文化から、私が期待する西洋的な反応を返すことに困難さが伴うことが分かったからです。いずれにせよ、人間性、人間関係、コミュニケーションの方法など、違いがあります。時には、そのギャップを埋めようと試みることもありますが、しばしばそのギャップが大きくなり過ぎないようにしています。  
結果、プレーぶり、選手自身、目的、到達点、やりたいことなどから判断して、選手との関係は、ますます良い方向に向かっているのは確かです。

選手のプレイが、正確に私の望む通りのもである限りにおいては、コミュニケーションは完全に二次的なものだと思います。一方で、プレーの足りないところがあります。人はそれをコミュニケーション不足だと考えることでしょう。コミュニケーションには言葉以外の方法があります。それは、態度、目、頭の動き、選手に直接触れる方法などです。これらの別のコミュニケーション方法でも相互理解はできるのです。選手が理解したことを、グランド上でプレーとして表現してくれている限りは、私たちの関係はしっくりいっていると考えています。
日本人の内気さとか控えめな行動は、変える必要はありません。彼等は、大きなコミュニケーションが十分できるということを、内に秘めているのです。そのことを、私は知っていますから。

  (訳 橋本和紀)